小江戸川越は歴史の街

蔵造りの街並みと
 芋の街

探訪日 06-5-6
川越は、江戸の北の守りであり、豊富な物資の供給地として重要だったため、幕府は有力な大名を配置した。
その一人、松平信綱は、新河岸川を利用した「舟運」(しゅううん)を起こして江戸との物流を確立、商人の町としても発達させた
。 


川越駅を降りて蔵造りの街を目指す。


活気のある長いクレアモール


なんの店だったか。


昭和30年代の店舗か、帽子屋さん。


蓮雀町交差点


蓮馨寺 (れんけいじ)
川越春まつり開催中で、ここの境内で
よろい着用体験が出来た。


今年の川越まつりは10月第3土・日

国の重要無形民俗文化財に指定されている、川越まつりは、慶安元年(1648)、
城主松平信綱が氷川神社へ神輿(みこし)を寄進したことに始まったと伝えられる。
大江戸天下祭りの様式を今に伝えるもので、蔵の町並みを豪華絢爛な山車が曳き廻される。


よろい着用体験〜
川越藩火縄銃鉄砲隊保存会『獅子の会』
会場 蓮馨寺(れんけいじ)
『獅子の会』のホームページ 
予期せぬ出来事であった、
町並み探訪中に、蓮馨寺に立ち寄ったところ保存会のみなさんから、「記念によろい着用の体験をしてみませんか?」と声をかけられ旅の思い出にと、お願いした。
甲冑は22kg.あり、すべて本物で親切な保存会の皆さんに着せていただいた、結構重たく、この装束で戦うのはたいへんだっただろう。
甲冑着用のままお参りをする。

保存会のみなさん有難うございました。
〜藏造りの始まり〜
川越に蔵造りの町並みが形成される契機となったのは、明治26年の大火。
この未曾有の大火災は、川越商人たちの防火対策への意識の変革をもたらした。
川越商人は江戸時代以来、新河岸川の舟運などによる江戸との商いで富の蓄積があり、復興のための財力は十分にあったようだが、同じ惨事を繰り返さないよう、建物そのものを防火建築にすることを考えた。
大火の際に焼け残った建物が伝統的な工法による蔵造り建物であったことに着目し、商人たちは競って蔵造り建築による店舗(店蔵)を建てた。もっとも、東京日本橋には明治10年代に既に蔵造り建物による町並みが形成されていたこともあり、江戸の商人に対する羨望や憧憬もあったのかもしれない。


仲町交差点


仲町4番3 亀屋。
田中屋美術館

川越市仲町

川越の文化を愛し、さまざまな形で町に貢献してきた故田中利明さんが蒐集した岩崎勝平(いわさきかつひら」の作品を、常時展示している。
一般200円。


店内で飲んだ、川越地ビール『サツマイモラガー』
地ワインもある。


田中屋1階,
レトロな雰囲気の店内


2階に上がる階段
正面に岩崎勝平の作品が


階段を上がって左が常設展示場
川越市有形文化財
田中屋住宅』について

建築年代は、大正4年。構造は、当時の川越で盛んに作られた「土蔵造り」だが、外観に洋風デザインを採用してるのが特徴。構造は土蔵造りの洗い出し仕上げで、コンクリートを使用していない。
洋風デザインの土蔵造りは、川越では唯一、全国的にみても他に例を見ない貴重な建造物。
当時は銃砲店を営んでいたとか。

観音開扉

多くの蔵造り建物の窓は重厚な観音開扉になっており、蔵造りの外観で最も目を引くところの一つだが、屋内に有っても扉本体と建物側の枠は階段状に細工が施され、閉じたときの密閉性を確保しています。この部分にも左官職人の鏝さばきが表れており、乾燥すると収縮する土や漆喰をくるいなく合せる高い技術が見て取れる。



店舗と住居との類焼を防いだ
、観音開扉
光沢のある黒漆喰が実にいい。


2階座敷の部屋
この建造物は柱・梁が太くしっかりした堅牢で重厚
そのうえ手入れがたいへん行き届いている。

川越唐桟
(かわごえとうざん)
川越唐桟とは
川越唐桟(かわごえとうざん)は細い木綿糸で織られ、江戸時代は南の 国からの輸入物として庶民には手の出ない大変高価な着物だった。今は国産の物 が手頃な値段で手に入るが、なかでも、川越の唐桟は良質で通称、“川唐(かわとう)”と言う。


2階座敷に川越唐桟が展示されている。


手機織りによる川唐織りの説明と特徴を教えて頂いた
私の田舎の実家が、筬(おさ)屋といったらびっくり
されていた。


埼玉りそな銀行川越支店
(国の登録有形文化財)


銘菓 亀屋 ホームページ


亀屋栄泉
亀屋栄泉は明治よりここ川越の甘藷を原料としたお菓子の製造販売を続けているお店。
昔から一貫して守り続けてきた手作りの味は、百年以上経た今でも多くの人々に親しまれている。
二階には「芋菓子の歴史館」というミニ資料館がある。
芋菓子と共に歩んできた亀屋栄泉の芋菓子の創製期から今日に至るまでの当時使用していた
菓子作りの道具や資料を展示、紹介している。

亀屋栄泉 ホームページ


2階展示場にはところせましと、菓子道具が
展示されていた。


1階店舗奥の座敷、ガラス戸の向こうは
庭になっていて、お稲荷さんが祀ってあった。


美味しそうな、お漬物が一杯並んであった。


フカゼン(深善)
元文3年(1738年)創業
 掛軸と額縁 製造と販売のお店。


時の鐘


〜川越慕情、時の鐘〜
時の鐘は、寛永年間(1624年〜44年)に川越城主酒井忠勝が、城下多賀町 (いまの幸町)に建てたものが最初といわれている。
現在の鐘楼は、明治26年(1893)に起きた川越大火の翌年に再建されたもの。 3層構造の塔で、高さ約16メートル。 現在、1日に4回(午前6時・正午・午後3時・午後6時)、蔵造りの町並みに 鐘の音を響かせている。


菓子屋横丁


菓子屋横丁
「菓子屋横丁」では、明治の初めから菓子を製造していた。それが、関東大震災で被害を受けた東京に代わって駄菓子を製造供給するようになり、昭和初期には70軒ほどの業者が軒を連ねていたといわれる。
現在は店舗数も少なくなったが、昔ながらのあめやせんべいなどを並べた下町風の駄菓屋が軒を連ねて、懐かしい気分が味わえる。若い人には人気のスポット。

〜江戸の面影を残す文化財の宝庫〜

喜多院 (きたいん)

川越大師
徳川家ゆかりの天台宗寺院
「星野山無量寿寺喜多院」

喜多院ホームページ


喜多院


喜多院


境内で


横浜中華の店 香龍
川越に着いたのが昼少し前、「先に食事を済ませてからゆっくりと探訪するほうが良いのでは」、ということで、
みなぼうが何回か食事をして、美味しいかった、と言う
横浜中華のお店『香龍』に入る。
西武本川越駅の裏通りにその店があり、内部はとても清潔なお店で年配の男性が丁寧にオーダーを聞いてくれる。お皿に大盛りの焼きそば、ボリュームたっぷりで「食べれるか〜」の声も、心配ご無用、しっつこい味でなく美味しくぺロリとたいらげる。
こだわり味、妙・妙麺と看板に書いてあった、偽りなしのお勧めのお店。
牛バラ焼きそば \950。 鴨焼きそば \950。 鳥焼きそば \790.