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丹波の古刹を訪ねる
高源寺の秋
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西天目瑞巌山
(にしてんもくずいがんさん)
高源寺(こうげんじ)
兵庫県丹波市青垣町桧倉
訪問日 2006/11/23 |
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山門(惣門) |
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誰もが訪ねる大徳寺の石畳や、
大原三千院の参道など美しいけれど、
高源寺に比べると、やはり都の寺だ。
足もとにもおよばぬ。
ここは鬼気せまる禅機がみなぎり、身をおいただけで、
胆を洗われる生気があるように思える。
故 水上 勉 (作家) |
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境内参道。 |
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縁起
高源寺は1325年(鎌倉時代)に遠谿祖雄(えんけいそゆう)禅師が開いた臨済宗(りんざいしゅう)の中峰派(ちゅうほうは)の本山です。
遠谿祖雄禅師は当地の出身で山垣城(やまがいじょう)の城主、足立遠政公(あだちとおまさ)の孫の光基(みつもと)の三男で、出家は早く、1306年には中国に渡り、杭州天目山の中峰国師(ちゅうほうこくし)のもとで修行をして、悟りをひらき、10年後帰国する。
高源寺建立の翌年に後醍醐天皇より高源寺という寺号を頂き、後に後柏原天皇(ごかしはら)の代に勅願時(ちょくがんじ=天皇の命による祈願のための寺)になりました。又当時は末寺、3千ヶ寺にもおよびました。
しかしながら、天正年間(室町時代末期)に織田信長の丹波攻めで焼き討ちにあい、すべて焼失した。
その後、享保のはじめ(江戸時代中期)に天岩和尚が一部再建し、寛政時代(江戸時代中期)に弘巌和尚が柏原藩主(かいばら)の援助を得て、現在の建物を建立しました。
伽藍は惣門・山門・仏殿・方丈・庫裡・鐘堂・多宝塔・宝蔵があります。
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三重塔が少し隠れて見える。 |
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同行の阪上氏、宝塚市でお店を経営されている氏は
大の釣りマニアで、休日の大半は、京丹後、美浜、姫路、
徳島へと、釣り三昧と化す。
又、近郊の地理にたいへん詳しく実に頼もしい。
いつも、本当にいい所を案内してくれる。
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山門 |
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山門の内側から。 |
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仏殿(法王殿) |
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方丈 |
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方丈玄関。
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方丈は庫裡(こり)も兼ねている。
(庫裡とは寺の台所・住職の家族の居間のこと。)
「方丈」の中の開山堂には、当寺を開山した遠谿祖雄禅師、中興の弘巌禅師の
像が安置されている。
当寺は勅願所であることから、後円融、後柏原、後水尾、後鳥羽、桜町、霊元など各天皇の御宸筆が
所蔵されている。 |
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天目楓と鐘堂
天目楓の名前の由来は、禅師が師事した中国の天目山幻住庵の中峰明本(普応国師)にちなむと言われています。 |
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三重塔(多宝塔) |
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丹波紅葉三山の一つ、高源寺には数百本の天目楓の紅葉が楽しめ、境内の丹丘荘では住職手作りの精進料理(予約)も好評である。 |
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黒川温泉をすぎて多々良木ダムへの峠越え。 |
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多々良木ダムを望む。 |
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