重要文化財 冷泉家住宅
京都市上京区今出川通烏丸東入玄武町599
075-241-4322
地下鉄今出川駅下車スグ
05/10/31 拝観 |
冷泉家は藤原定家の流れをくむ和歌の宗家で、
約200年前に建てられた住宅は現存する唯一の公家屋敷。
重厚な貴族文化の伝統漂う座敷や所蔵の屏風(びょうぶ)今回は室内に入ることは出来なかったが、庭から見学できた。 |
表門
10月28日から31日までの4日間、初めて一般公開された。
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表門
特に注目されるのは屋根両すみの留蓋瓦(とめぶたがわら)として立つ阿、吽を対にした亀像瓦です。冷泉家が御所の北にあることから、玄武神の亀蛇に基づいたものと思われます。 |
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御文庫
冷泉家に伝わる俊成以来の貴重な古文書を収めています。
1767 年に新文庫が建て増しされました、天明の大火
( 1788 年)の際にも類焼を免れています。 |
台所
西にある台所棟は家司が詰め、家族は決して立ち入ることが
ありませんでした。
座敷棟からは床も一段低く張られていて格式の違いが
明らかです。
土間と板敷きから成り、「しゃぐま」というわら束が吊り下げ
られています。
「しゃぐま」は祇園祭りの長刀鉾(なぎなたぼこ)に使われた
もので魔よけとして飾るようになりました。
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台所
しゃぐま |
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内玄関 |
大玄関 |
使者の間 |
使者の間から右へ中の間へ |
中の間
『群鶏図屏風』 |
座敷
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使者の間、中の間、上の間と一列に並び、書院造りを基調としています。
欄間は素通しで、襖を取り外した時全体を一室化しやすいようになっています。
上の間と中の間との境の敷居は取り外しができ、畳をあげて板敷きの寝殿とすることも考えられていました。
襖には黄土色の地紙に雲母で型押しした牡丹唐草の唐紙が貼られています。
これは歌壇の中心的地位にある冷泉家では、室内から季節性を排除し想念にふけることが
できるようにと考えてのことでした。
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上の間
『扇面図屏風』 扇面には「古今集和歌集」「新古今和歌集」などの古歌が書かれています。
冷泉家の「泉」と「扇」との同音を愛する十代当主・為頼により生み出されました。
七夕の乞巧奠(きっこうてん)が催される部屋でもある。 |
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上の間
歌会の舞台となる座敷 |
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建物に対する知識は薄い私だが
座敷の天井は大きな隙間が開いていて
寒々しく感じられた。
冷泉家の人たちの質素な暮らしぶりが伺える。 |
座敷を囲むように庭が続く。 |
屋根
旧態に復元され、柿葺き(ヒノキ、マキなどの
薄板で屋根を葺くこと)となっている。
暗くて判りずらいが。
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公家町と冷泉家の変遷
京都御苑にかけての一帯には築地塀(柱を立て、板を芯にして泥で塗り固め、瓦で屋根を葺いた塀)を
連ねた公家屋敷がありました。
豊臣秀吉の都市政策により、それまで市中に散在する町家と入り混じっていた公家屋敷を、
御苑周辺に集中させて公家町が形成されたからです。
藤原定家の孫、為相(ためすけ)を祖とし「和歌の家」として 800 年の歴史をもつ冷泉家がこの地に屋敷を
もったのは、 1609 年 9 代為満の時です。明治時代にほとんどの公家が東京に移り住んだり、
屋敷が取り壊されたりしましたが、冷泉家だけが留守番役として京都に残りました。
現在もほぼ完全な姿で保存されていてる。
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